まぁ甘いお茶でも一杯

アラサーニート女が日々の事や好きなゲーム・漫画・アニメやパニック障害と付き合ってきた事を書きます。

私とパニ障 2. 辛かった学生生活

こんばんは。のはらです。

今日は暑かったですね、今日は大江戸博物館に行って来ました。

館内は涼しかったので、上着一枚持ってくれば良かったです(;'∀')

坂本龍馬展に陸奥守吉行が展示されていると知ったので、観にきました。

そう、刀剣乱舞の中でむっちゃんが一番好きなので、実物を観るとなんだか感慨深かったです。アニメも7月にやるので楽しみですね!

 

 

話は変わって、前回の記事の続きを書きたいと思います。長いです。特に一番酷かった頃です。

 

前回はこちらです。

 

ocyanoki.hatenablog.com

 

この時が一番ピークに辛かった時です。何度も何度も消えてしまいたいと思っていました。今でも思い出すだけで泣きそうなくらいです。私の悪夢は必ず中学生活の夢なんですよね。もう15年以上もなるのに……

 

最初の発作があってから、1週間後くらいでしょうか。その間は疑問に思いながらもすっかり忘れていました。午前の授業を受けていた時また発作が起きたのです。

 

心臓がバクバクして、突然湧き上がる「恐怖」が襲い掛かったのです。死んでしまうような狂ってしまいそうな感覚で頭がいっぱいでした。必死に机の角を握って耐えていましたが、もう我慢できなくて勇気を出して手を挙げて先生に言いました。

 

「先生…調子が悪いので保健室に行っていいですか……?」

 

私の顔色が悪かったのでしょう。先生は許可をしてくれ、私は立ち上がって廊下に出ようとしましたが、体に力が入らなくて倒れこんでしまいました。

 

例えるなら、全身が底なし沼に浸かっているような感じでしょうか。歩いていても地面に足が着いている感覚がしないのです。

 

急きょ、クラスメイトの二人が付き添ってくれ保健室に向かいました。保健室でしばらく休んでいたらすーっと恐怖が消えていきました。私は思考がはっきりしながらもこう思っていたのです。

私の体おかしくなったのかな……?何かの病気?

 

それからでした。どんどんパニ障が酷くなっていったのは。

 

頻度が1週間、3日、そして毎日発作が起こるようになりました。教室の扉を見ただけで不安感でいっぱいになり、チャイムが鳴り響き、先生が来て扉が完全に閉められます。檻の中に入っているような気分でした。授業が始まると、すぐ発作が起きます。

 

よくネットや本とかでは発作は20~30分ほど続くとか書かれているじゃないですか。普通の方は「ほんの少しだけじゃん、気合で耐えろよ」と思われる方も少数いると思うんです。(すみません、偏見が入ってしまって。過去に親しくない人に実際に言われました…)

 

私はこう言いたいです。

あなたがもし酷い花粉症になったとき、鼻水と涙がずっと止まらなくて掻き毟りたいほどの目と喉のかゆみがあります。あなたは気合で耐えられますか?

 

私は無理です、それをパニック障害持ちの方に言っているのと同じなんです。

 

話を戻します。私は倒れ込む前に先生にトイレや最悪の時は保健室に駆け込みました。だんだん心配してくれたクラスメイト達の態度が変わっていきました。私がトイレや保健室に行こうとすると、クスクスと笑われたり、私のいる前で陰口を叩かれるようになりました。そうですよね、毎回毎回授業中にトイレや保健室に駆け込むなんて、彼らにしてみたら『オカシイ子』なんですよね。

私にとっては学校の授業を受けることすら、勇気と覚悟がいるものでした。決して大げさではなく。

 

季節は廻り春頃でしょうか、その時は電車や本屋にも行けないレベルになっていました。普通に歩いていても現実感がなくなっていました。どんどん外に行けなくなって気持ちは塞ぎこみました。

 

また、学校で発作起きました。トイレや保健室に行きたくても、クラスメイトにからかわれるので、ひたすら恐怖に耐えていましたが、そのまま倒れ込んでしまいました。

冷たい地面で聞こえていたのはクラスメイト達の蔑みの声でした。

「また、のはらが倒れたwww」

「コイツ、オカシイよね~」

「なんか異常があるんじゃないのか主に精神とかwwwww」

 

涙が止まりませんでした、人は苦しいと思っている人に対してこんな冷たくて酷い態度をとれるのかと。そのとき社会の先生が私を背負ってくれて保健室に連れてきてくれました。その後、ずっと保健室に駆け込んでいた私を心配してくれた養護の先生が慰めてくれました。

この2人の先生には感謝してもしきれません、 その後、高校の養護の先生に出会うのですが彼女も私の最高の恩師の1人です。この3人の先生が私を助けてくれました。

 

そして夏休み後、私は三学期まで保健室登校になりました。養護の先生の紹介でクリニックに通いました。その時、「パニック障害」と診断されたのです。(これは高校卒業後に母から後教えてもらいました。私にショックを受けさせない為の配慮だったそうです。

 

先生と家族のサポートで何とか外に出れるようになりました。電車一駅乗れただけでも嬉しかったです。でも、今でも後悔していることがあります。それは上の兄弟が私のせいでからかわれていた事です。それを知ったのは高校卒業頃でした。なんかの雑談の時に兄弟から聞きました。辛かっただろうに私の為に黙って耐えた兄弟の優しさと何も出来なかった自分の情けなさでいっぱいになりましたね。

 

中学3年頃はまた恐怖に耐えながらも、必死で黒板をノートに写していました。(発作で先生の解説は聞くどころじゃありませんでした)そして何とか高校に通うことが出来たのです。

 

その時はクラスメイトの交流は避けていました。完全に信用出来なくなっていました。それは高校に入って卒業してからも変わる事が出来ませんでした。その時は留年しないように単位を計算していましたから。中学のように授業中にトイレや保健室に行きませんでした。(またからかわれるなんて最悪ですし)

 

今でも同年代や学生さんを見るとビクッてしてしまいます。家族以外の人との交流は億劫で避けてしまいます。未だに人を信用するのが難しいです。何とかしたいですね……

 

今では普通に電車にも乗れますし、普通に過ごしています。一回数年前に調子が悪くなってからクリニック行って処方薬を服用しています。依存かもしれないですけど、薬って『お守り』なんですよね。

 

ひとまず今日はここで区切ります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

今、パニック障害で苦しんでいる人達に伝えたいことは、周りに思いっきり甘えてください、頼って下さい。そして休んでください。あなたの周りには、信用できる人が必ずいるはずです。

 

あなたが元気を取り戻せたら、その人と一緒にお茶しましょう。

その人は絶対に喜びますから!